武者修行から、あるがままへ


プロレス格闘技ごっこ

私は現在51歳ですが、武道を始めて36年になります。

 

 

途中で5年ほどブランクがあり、おおよそ30年稽古してきました。

 

 

今回は人生というものについて書いてみたいと思います。

 

 

坐禅という字の土の上に向かい合う人と人、

一方は客観的に、冷静に観察している眼、

理性と呼びましょう。

 

 

一方は損得を計算し、まずしゃしゃり出てくるエゴと呼びましょう。

 

 

子供の頃、プロレスやボクシングの格闘技をみると、

熱くなって蛍光灯のスイッチの紐を

パチンパチン叩いていました。

 

 

中学の頃は、アントニオ猪木の異種格闘技戦が全盛で、

モハメッド・アリ、ウイリー・ウイリアムス、

ウイリアム・ルスカ戦などが放送され、

クラスでも異種格闘技戦の真似事を日々行っておりました。

 

 

当時はベニー・ユキーデというマーシャルアーツの選手が、

日本のキックボクサーを立て続けに撃破し、

リングの赤い蝶と呼ばれ、漫画や映画でも紹介されていたのです。

 

 

友人は数年後にプロレスラーとなり、

私も数年後にプロ格闘家としてデビューして、

その前段階のような形で、毎日のように教室の後ろで

戦っていたのです。

 

 

人生って面白いですね。

 

武者修行

私は格闘技をテレビで見ると、

他の番組にとは比較にならないくらい興奮しましたが、

まさか、その道が人生の主になるとまでは思いませんでした。

 

 

現在は体育館で武道の指導をしながら、

自分よりできる方より指導を受けております。

 

 

目指すは覚者です^^

 

 

 

さて、かつての剣豪達は何を目指して修業していたのでしょうか?

 

 

宮本武蔵、塚原卜伝、伊藤一刀斎という剣豪達は

何を目指し、何を思い、生きていたのでしょうか?

 

 

戦国時代や幕末に生きる侍にとって、

剣術の修業はそのまま人生そのものでした。

 

 

合戦においても、決闘においても生死が懸かっていたのです。

 

 

格闘技の試合のように、レフリーがいて、

ルールに守られているわけでもなく、

負けたら死ぬ覚悟が必要なわけです。

 

 

最初は剣豪として名をあげることや、

殿様に認められて仕官することを目指すのです。

 

 

つまり、名誉欲と生活するための手段ですね。

 

 

しかし命懸けですから、生命を守るために必死で修業します。

 

 

勝って名をあげると、更に強敵難敵が現れてきます。

 

 

生き残るため、必死で技を追求します。

 

 

年齢が上がってくると、体力に頼らない戦い方が

必要となってきます。

 

 

若く、スタミナや力のある剣豪と真剣勝負をするのですから、

必死で稽古するのです。

 

 

答えを得るには、右脳による気づきが必要です。

 

 

身体を使って必死でやっていると、

煩悩が減り、気づきを得やすいのです。

 

 

思考ではなく、感じることです。

 

 

体力に勝った者を制圧する、体幹の使い方に気付くようになります。

 

 

五欲を求める思考感情が、

勝負においてマイナス要素であることを知り、

技の追及が、正しい体の使い方の理解となり、

行住坐臥理に則った体遣い、

心のあり方が出来るようになるのです。

 

 

ヴィパッサナーのようなものです。

ヴィパッサナーリンク ↓ ↓

 

ですから、正しい修業がすすむと、

人を切って名をあげるという名誉や、

仕官等の五欲も小さくなり、

あるがままに生きられれば良いとなるのでしょう。

 

 

波を漂う船のように、何とか生きていければ良いのだと。

 

 

そんな感じがしております。

 

 

「あるがまま」が答えですね。

 

 

私の友人のブログより

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最強剣豪ランキングベスト10!戦国時代日本一は?

 

 

 

 

 

 

 

 


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