ハコの恵まれた縁 モト子伯母


満州ハルビンでの生活

私の父は昭和11年に満州のハルビンで生まれました。

 

 

祖父は農業器具の販売や農場経営を手広く行って成功していましたが、

現在の金額にして億単位のお金を終戦間際のどさくさで失いました。

 

 

男狩りをするロシア兵。

 

 

捕らえられた人々はシベリア開拓の労働力となります。

 

 

祖父は病の上に終戦の苦労で心身ともに疲弊し、

ロシア兵も状況を見て、放免したと聞きました。

 

 

「ガラスのような身体」と医者が言ったのを、

父は覚えております。

 

 

財産を失った一家の苦境の一助になればと、

少年時代の父は饅頭売りをしました。

 

 

ハルビンより日本へ引き揚げてきて、間も無く祖父は亡くなります。

 

 

現在、父の兄弟7人で、健在なのは父と奈良に住むモト子伯母です。

 

 

このモト子伯母は80歳を過ぎているのですが、頭の回転が早く、豪傑です。

 

 

終戦後屋敷を出された父の家族は、学校などに宿泊していましたが、

豪胆な伯母はロシア兵が街中を悠然と闊歩するのを物ともせず、

屋敷に自分の衣類などを取りに帰ったらしいのです。

 

 

20年ほど前、祖母が健在の頃、

祖母とモト子伯母は大阪で一緒に暮らしていて、

私は遊びに行ったことがあります。

 

 

20代半ばまで、私はボクシングをやっていて、

夢半ばで挫折したことをモト子伯母は怒っていました。

 

 

「なんで負けたんや?」と・・・。

 

 

私と伯母は焼酎のお湯割りで一晩中飲みあかし、

語り合いました。

 

 

特に、キャリアウーマン時代、

男性優位の社会構造についての苦労話は感情がこもっていました。

 

 

本当に悔しい、苦しい思いをしたらしいのです。

 

 

男性経営陣と折り合いがつかず、退職金を元手にスナック経営をして、

そこそこうまくいっていたようです。

 

 

ハコとモト子伯母

それ以来伯母は、手紙や贈り物を、ときどき送ってくれるようになりました。

 

 

ハコは私の両親とともにモト子伯母のところに1週間ほど遊びに行きました。

 

 

ハコが求めているのは、きっかけです。

 

 

この、苦境を脱出する、きっかけが欲しいのです。

 

 

モト子伯母の豪傑ぶりをハコに話しておりましたから、

「伯母より得るものがあるのではと」期待がありました。

 

 

モト子伯母はハコが心身の不安により、

進路を決めかねている事情を知り、頻繁に手紙をくれるようになりました。

 

 

モト子伯母は男まさりで、生涯独身です。

 

 

弟の孫の苦境に大きく心が動かされたようです。

 

 

ハコが、この気丈な伯母の精神と愛情に触れることができたのも縁です。

 

 

伯母とハコの文通は宴たけなわです。


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ポイント

荒波の中に浮かぶ船は、波に委ねて「あるがまま」を認めればいいのです。


2 Responses to “ハコの恵まれた縁 モト子伯母”

  1. […] 以前ブログで、気丈な奈良のモト子伯母について書いたのですが、 […]

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