「幸せ」を見つける方法2 マインドフルネス
私は「悟り」を得たわけではないから、私の書いていることは私の現時点で思うことである。
いろいろなやりたいことがあるのだが、「悟り」を感じることが出来れば多くは望まない。
と言うことは、この思いが達せられれば幸せなのか?
人は「目的→達成」のループに陥りがちである。
満たされるのは一瞬で、またループの渦に巻き込まれていく。
私は、ふと思う。
この追い込まれるような日常から解放されたら、どんなに幸せだろうと。
しかし、ボクサーが打ち合いの中で、必死でパンチを繰り出し、相手の攻撃をかいくぐっていく。
恐怖などの自我があるうちは、まだまだである。
その攻防と心が一体化した時には、欲も恐怖も無い。
心と身体が忙しすぎて、「無」なのである。
「無」なのだが、「今ここ」に集中している。
余裕があると、貪瞋痴(とんじんち)の渦に巻き込まれて苦しみに帰結する。
「何か良いことがないか」
「あの時、こうしておけば今頃は・・・」
無限ループが繰り返される。
この自動思考に、気付くことである。
更に、エゴは希望や不満を探す。
安定をひたすら求め、安定の障害となっているモノを探し続ける。
勝手な解釈をして、排除すべきモノと決めつける。
自分の正当性をでっち上げの理由をつけて、信じ込もうとする。
しかし本当の自分(真我)は、それをでっち上げだと知っている。
この嘘と向き合い、心の傷を修復するときが、いずれ必要となる。
バランスが常なのでは無く、アンバランスが常なのだ。
諸行無常、諸法無我が真理なのだ。
これを受け入れなければ、全て苦となる(一切皆苦)。
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